◆記述式導入も延期を

大学入学共通テストでの来年度における英語民間試験の導入が延期となりました。当然の決断であり、それ自体は望ましいこととはいえ、ドミノ辞任と担当大臣の失言という政局がらみの、遅すぎる決断である点に、通常では教育や大学入試について生徒・受験生本位で真剣に捉えられていなかったことが表れています。しかし、今は新旧の担当者の責任追及よりも、差し迫った大学入学共通テストへの対処(中止・延期措置)を最優先で議論すべきです。実施まで1年を切ってしまうと対処不能で実施するしかなくなるからです。

英語4技能に関する民間試験の導入と並び、大学入学共通テストの「目玉」とされる国語の記述式問題の採用について、断念もしくは延期すべきであることを、ここで再度強く訴えます。

英語の民間試験導入の場合とは異なり、国語(現代文)の記述式問題の採用に関して、「格差」の問題はほぼ問われないでしょう。逆に、英語民間試験については、たとえば50年以上の実施実績のある、公益財団法人による英語の試験であれば、その試験自体の質を問う声は、(大学入試としてふさわしいか、他の民間試験との違いを調整できるのかといった問題を措けば)ほとんどないでしょう。 つまり、英語の場合は、テストそれ自体には、信頼性が相当程度あるだろうということです。

これに対して、「約50万人が受ける現代文の記述式の問題」となれば、大学入試センターの試行調査におけるモデル問題を見るかぎり、記述試験そのものの質、採点方法ともに、信頼性が乏しいのです。とても大学入試として実施できる水準にはありません。延期というより、実施を断念すべきです。早急に議論し、文科相による中止発表がなされることを期待します。

そもそも記述式問題の採用理由とは何でしょうか。従来のマーク式テストでは、いわゆる「思考力・判断力・表現力」が十分に判定できないから、というものでしょう。しかし、第1に、玉虫色の「思考力・判断力・表現力」なる観念が何を意味するか(意味すべきか、意味してほしいか、ではなく)という概念規定自体が、試験実施主体の側で教育科学的な妥当性を持つものであるという確証とコンセンサスが保持されているのでしょうか。
仮に保持されているとしても、大学入学共通テスト内で記述式試験を実施すればそれらの「能力」が、マーク式試験以上に、客観的に測定可能である、ということにはエビデンスがあるのでしょうか? なぜマーク式であるというだけで無理だとみなされ、記述形式であればそれだけで可能であると言えるのでしょうか? なぜ二次試験など各大学での個別試験ではいけないのでしょうか?
たとえば、2017年度に実施され、約6万4千人が受けた試行調査では、120字記述設問の正答率は0.7%でした。翌2018年に実施され、約6万7千人が受けた試行調査でも、120字記述設問の正答率は15.1%でした。このようなデータから「諸能力の測定は可能である、実施は妥当である」という判断を下すことができるのはなぜでしょうか。「設問に無理や不備がある、このまま実施すべきではない」と考えるのが妥当でしょう。

最も重要なことは、記述式問題それ自体の、テスト=学力評価手段としての質です。
直近の2018年11月に実施された試行調査の記述式モデル問題では、以下の4つの条件=解答誘導が付されています。

 (1) 二つの文に分けて、全体を八十字以上、百二十字以内で書くこと。
 (2) 一文目は、「話し手が地図上の地点を指す」行為が「指されたものが、話し手が示したいものと同一視できないケース」であることを、【資料】に示されたメニューの例に当てはめて書くこと。
 (3) 二文目は、聞き手が「話し手が示したいもの」を理解できる理由について書くこと。ただし、話し手と聞き手が地図の読み方について共通の理解をもっているという前提は書かなくてよい。
 (4) 二文目は、「それが理解できるのは」で書き始め、「からである。」という文末で結ぶこと。

この4条件=解答誘導です。ここまで受検者を誘導・規定しておいて、それで「思考力・判断力・表現力」を測るテストであるとは、よくも言えたものですね。
そして、「正答の条件」(採点基準)は以下の5条件です。
 ① 80字以上、120字以内で書かれていること。
 ② 二つの文に分けて書かれていて、二文目が、「それが理解できているのは」で書き始められ、「からである。」で結ばれていること。
 ③ 一文目に、話し手が地図上の地点を示しているということが書かれていること。
 ④ 一文目に、話し手が指示しようとする対象が実際の場所だということが書かれていること。
 ⑤ 二文目に、次のいずれかが書かれていること。なお、両方書かれていてもよい。
  ・指差した人間の視点に立つということ。
  ・指差した人間と同一のイメージを共有できるということ。

「正答の条件(採点基準)」はこれだけです。本文中から正答条件のキーワードを1つ2つ探せば正解となります。あたかも質の悪い模試の採点基準を見るかのようです。前回のトピックで私が「安易な穴埋め的問題」と評した所以です。こんな稚拙な評価法では、期限内に採点しやすいという実施側都合のメリットがあるだけで、「マーク式では問えない思考力・判断力・表現力を測ることができ、学校教育を変えていく」ことなど、到底不可能でしょう。むしろ弊害が大きいのです。

さらに、答案採点上の問題があります。しばしば指摘されている「採点結果と受検者による自己採点結果との不一致」も、大学入学共通テスト実施の是非としては極めて大きな問題ですが、それは記述式テストの質自体の問題ではありません。この点で問題なのは、採点基準と採点者の質です。言うまでもなく、50万人分の記述解答を単純な基準に照らして数千人程度の採点者が採点すればどうなるか、火を見るよりも明らかです。
学生バイトが採点中に居眠りをしている、などという報道がありました。ぞっとしますが、誰もが真剣に採点に取り組んだとしても、この規模の解答枚数と採点者数となると、様々な採点上の齟齬が致命的に増えるでしょう。いかなる「民間」業者が肩入れしようと(いや、肩入れしているからこそ危うい面もあるのでしょうが)、過去に経験のないことを大学入試という場で根拠もなく「できる」と強弁してはならないでしょう。

最後に、公正でなければならない大学入試である以上、どうしても見過ごせない問題があります。模試実施をビジネスとしている民間業者に、はじめから記述式設問の出題や採点の可能性について、技術的な問題を丸投げし、そのうえで、大学入学共通テストの採点も同じ民間業者が落札する。そうしたところも含めて、李下に冠を正さずの精神のかけらも見受けられないのです。天下りや利益供与、利益相反の問題など心配ないと、本気で言えるのでしょうか? 不正に対するセキュリティの問題が、「部署が違うから心配ない」などという一言で済まされようとしていることには驚きとともに強い危機感を禁じ得ません。

大学入学共通テストの現代文問題で記述式設問を出題しても、本来の目的・目標を実現できることはありません。様々な弊害によって公的試験への不信・疑惑が拡大するだけです。誠実で賢明な政治家や官僚の皆さんには、是非とも記述式設問の出題を延期、できれば中止の英断を下していただきたいと思います。「英語民間試験が延期になった以上、せめて記述式の導入だけは譲れない」などといった狭量なエゴイズムによるメンツ意識が出てこないことを祈ります。