◆記述導入は不正です

大学入学共通テストに記述式を採用することは、「不正」です。「教育改革の必要性」を真摯に説くことと「大学入学共通テストに記述式や民間英語試験を採用せよ」と乱暴に説き、強行しようとすることとを混同させようとする「すり替え」論法を許してはいけないと思います。

今でも十分に実施されている各大学の個別試験での記述式採用をさらに調整すればよいだけのことなのに、大学入学共通テストという場において50万人規模で実施するという無理筋について、政治家や天下り官僚、委員会主要メンバーと癒着する民間業者に問うて「できます」と言わしめ、「だから可能である」と結論する。そして、

(1) 穴埋め問題のような記述設問の質の低さ・拙さ、

(2) バイト採点と自己採点で明白に想定される困難、

(3) 不正(問題や解答の漏洩、利益相反など)のリスク、

(4) 記述設問を解くのに30分かかるため、マーク式問題の質まで低下(従来80分/4問→新テスト70分/4問になる)

(5) 入試改革・教育改革どころか、低レベルの記述式問題への「対策」圧力が教育現場に決定的な悪影響を与え、共通テストのせいでかえって教育が劣化するという、最悪の本末転倒

こうした様々な問題点の多くが早期に各方面から指摘されていたにもかかわらず黙殺し、ひたすら実施ありきで「教育改革」の名のもとに強行しようとする。批判を謙虚に受け止めず、たとえば自己採点に無理があると言われれば「二段階選抜では用いないように全国の大学に要請」などと、今さらの対症療法で批判をかわすことのみ画策する。こうしたことが「不正」でなくてなんでしょうか。教育や入試を改革しようという志は、そもそも本当にあったのでしょうか

大学入試センターはこの11月に模擬テストをやって、それを解析して記述式採点上の問題点を検証していくのだそうです。この今になって、何とのんきなことだろうと思いますが、驚くのはそこに留まりません。

約2万人の模擬テストの採点業務の検証とやらには、どれくらい時間を要するのでょうか?2020年の1月あたりまで2カ月以上かかってしまうのだとすれば、50万人分の本試験をきちんとミスなくチェックしながら採点するのに20日間で大丈夫だなどと主張できるはずがないでしょう。

模擬テストの検証に時間がかかれば、「検証作業中」として疑問・批判をかわすことができ、やがては「もう実施まで1年を切ったから、今さら中止はできない」となる可能性があります。時間稼ぎやアリバイ作りではないかと疑われても仕方がないのは、そもそも一連の「大学入試改革」の議論と手続きが不透明であり、信用できないからです。

国会では、「民間だからといって、それだけでよくないなどという考え方は誤っている」という答弁がありました。しかし、これは民営化論争ではありません。誰も「民間だからよくない」とは言っておりません。「営利目的で模試を売る業者が大学入試を請け負うのはよくない(利益相反だ)」と言っているのです。当たり前のことではないでしょうか?

大学入試のようなテストであれば李下に冠を正さずの精神は当然でしょう。公立高校の入試問題、センター試験問題など、公的な試験を作成する立場にある人たちが、どれだけ厳しい守秘義務を負っているか、御存知の方も多いでしょう。何より、模試の作成・実施を商売にしている営利企業であるベネッセが、大学入学共通テスト実施前に、問題や解答を入手しているなど、決して許せることではありません。これを考え出した人たちは、正気なのでしょうか?

こんな事件がありました。関西大北陽高校の一部の生徒が、関西大学への内部進学に使われるベネッセの模試の解答をインターネット上で事前に閲覧していたのです。関西大学は「公平な選考が損なわれる」と判断し、模試の合否判定への活用を見直す方向で検討しているそうです。

問題と解答を事前に知る人たちのうち、一人でも誰かに漏らせば、SNS等でネットに流出すれば、それで公的試験の信頼性は地に堕ちます。大学入試センターの人々、文科省の人々、文科相は、そのようなリスクに対しても責任を負えますか?

ベネッセを代表して国会答弁をした方によれば、「学生か社会人か、国籍(がどこ)か、私たちは問うてない」のだそうですが、そんな大雑把な考え方を是とする会社であるなら、決して誰もテスト情報を漏らすはずがないと言えるほど厳格なコンプライアンスが共有されているとは思えません。守秘義務があると言うだけで秘密が厳守されるのなら、法律や刑罰は必要ありません。不正の可能性がない?いつから性善説オンリーの社会になったのでしょうか?(こういうのを「楽天」的というのでしょう)

ところで、「実際に試験を受けた高校生や先生方の意見を聞く機会を設け、できるだけ現場に沿った採点の基準を作っていきたい」のだそうですが、記述問題と採点基準を作成し、複数の採点者への採点方法の説明をするという営みを30年以上続けてきた「現場」の末席から言わせていただきますと、自己採点はマーク式だからこそできるにすぎません。そもそも記述式の自己採点を50万人の受験生ができるのだとすれば、日本の国語教育はよほどすばらしい、世界に類を見ないものといえますので、決して改革してはいけないでしょうね(笑) 現実はと言えば、記述答案の採点は大学教員や受験指導のプロにとっても難しいのです。記述導入推進派の人達は、そういう現場の常識的事実もご存じないのでしょう。

最後に。予備校講師である私も含めて「民間」の人間は、民間だからこそ、心せねばならないことがあります。生徒たち、受験生たち、その保護者たちから、よりよい教育サービスを提供しているという信頼を得、委託を受けて、はじめて公教育とは別に、公教育と並んで、社会的に存在を許され、正当に評価されるビジネスが展開できるのです。学力のなんたるか、入試のなんたるかを受験生のために日夜真剣に考え、分析し、望ましい学習のあり方をサポートするために努力するのが私たち「民間教育産業従事者」の仕事です。あたかもベネッセや一部政治家たちのような、利権をむさぼろうとしているのではないかと疑われるようなビジネスからは距離を置きましょう。「入試が変わる」「今までの学習法ではダメだ」「記述式に対応」などと謳って、受験生の不安につけこむようなビジネス手法を慎みましょう。因みに、このような謳い文句で「新聞を読めばよい」などと、よりにもよってこの時期に新聞の販促に共通テストを利用した朝日新聞社も反省していただきたいですね。