◆本当に「賛否はない」か?

萩生田光一文科相は、記者会見で「英語4技能を伸ばすとか、記述式問題が大事な視点だということに、賛否があるわけではない」と述べたそうですが、そう決めつける時点で、すでに問題でしょう。簡単に「賛否はない」と、なぜ言い切れるのでしょうか?

まったくの白紙、ゼロからの議論とは、従来の常識・前提を疑い、ラディカルに反省し、この数年間にわたる過ちを二度と繰り返さないように議論をしていこうという意味ではないのでしょうか?

少なくとも私は、「記述式」があくまでも「式(形式・方法)」にすぎない以上、それだけでは大学入試のテスト方法としての有効性は極めて疑わしいと考えています。そもそも今日までの大失敗に至った要因の一つは、「受検者が解答用紙にマークするだけではなく、文字・文章を手書きする」という表面的な形式にすぎない「記述式試験」の導入を無批判的・無前提的に有効視した点にあります。それが大学入試で求められるべき本来の「思考力」「表現力(≒記述力)」からどれほどかけ離れていても、(後に採点業務を落札することになる)民間業者の手前味噌な「記述式試験の採点は可能である」という主張を鵜呑みにし、一部の反対論を黙殺し続けて強引に導入しようとする者たちを阻めなかった背景には、「記述式は重要だ」と言えばもはや誰も反対できないという、検証無用の「記述式崇拝」とでも呼ぶべき非合理な迷信があるからです。

今また、それと同程度の無反省な姿勢と認識で「大事な視点だということに、賛否があるわけではない」などと、失礼ながら素人の大臣が、文部科学行政の最高権力者として上から結論ありきの姿勢で物を言ってしまうようでは、相変らず誰も直言などしてはくれないでしょう。時限を1年と切ってしまい、既存の無反省な前提を権力者が当初から示唆する。これでは今後の検討もあまり期待できないでしょう。前輪の轍を踏むの愚を避けねばなりません。今は、そもそも記述式が大学入試に有意義だというのはどのような意味においてか、記述力・表現力とは何か、それは客観的に測定可能な学力なのか等々、検証の過程を経た根本的な議論を(今度こそ)労を厭わず行うべきではないでしょうか。